BUZZ RICKSON’S "Type M-1943, BUZZ RICKSON MFG. CO., AIR TRANSPORT COMMAND"
M-1943フィールドジャケットはM-1941の後継モデルで、それまで陸軍が開発採用した各種野戦服を統合する目的で開発された。
気温や運動性に備え、全ての環境に対応すべくレイヤーシステム(重ね着)を前提としているため、比較的ゆったりとしたフォルムを持っている。
ボタンで留める前立てとポケットフラップのボタンは隠しボタン仕様で、この上に装備品を身に付けても引っ掛かりを回避している。
素材は丈夫で防水性のある厚手のコットンサテンを裏使いした“バックサテン”をオリーブドラブに染め上げ迷彩効果を高めている。
フロントに設置された4つのポケットは容量が十分確保でき、日用品を収納すればザックは必要ないほどである。
襟はM-41を受け継ぎ、開襟でも閉じても着用でき、襟を立てチンストラップを閉じると風の侵入を防いでくれる優れた機能を持つ。
基本的なデザインは完成度が高く、その後採用されたM-51とM-65に継承されていった。
1941年12月に開設されたCBI戦域とは、チャイナ(中国)、ビルマ(現ミャンマー)、インドの頭文字から名付けられている。
インドからヒマラヤ山脈を越えて中国に向かう飛行ルートは、標高4500メートル級の山々が立ちはだかり、その山脈をラクダのこぶに例え、「ハンプ・トリップ」と表現した。
広大な戦域に展開する部隊に物資補給したのがエア・トランスポート・コマンドであり、第二次大戦は米国においてこの部隊の存在無しでは語り続ぐことは出来ない。
CBI戦区のパッチカスタムは左袖にその戦区章、右袖にAFパッチを配置するのがレギュレーションである。
正規のエア・トランスポート・コマンド章は方位磁針が描かれているが、遊び心に溢れた米兵は方位磁針をピンナップガールにアレンジ。その秀逸なセンスは米兵の間で人気となり、当時流行したパッチデザインである。
MADE IN JAPAN
38 肩幅47.0cm 身幅56.0cm 着丈76.0cm 袖丈61.0cm
40 肩幅50.0cm 身幅59.0cm 着丈78.0cm 袖丈62.0cm
BUZZ RICKSON'S
数々の傑作衣料の中でも、さらにその最高レベルに位置するのが"FLIGHT JACKET"であることに異論はないでしょう。飛行士の命を守るため、国の威信をかけ、莫大な開発費用と計り知れない数々の実験、そして膨大な労働力をもって究極のユニフォームは開発されました。時代の最先端素材と縫製技術、細部に至る知恵と工夫。飛行士達を夢中にした見栄えの良さ。このような"FLYING CLOTHING"の先進性と合理性は、現在においても民間衣料に多大な影響を与えています。
時は1993年、"FLIGHT JACKET"の歴史と誇りを追求する最強のブランドが誕生しました。"BUZZ RICKSON'S"。その復刻作業は、スペック、素材、フォルム、パーツに至るまで徹底的にこだわり、一着一着にクラフトマンシップを込め、本物だけが持つ魅力に肉迫します。映画「戦う翼」の劇中でスティーブ・マックィーンが演じる役名に由来する“BUZZ RICKSON'S”は1993年、大空に向けて飛び立ちました。
徹底的な素材分析がBUZZのブランドポリシー
BUZZ RICKSON'Sはフライトジャケットの真のレプリカを作ることを目指しています。そのため、現存するヴィンテージを徹底的に分析・研究しているのです。中でも素材、特に織布系素材の復元には力を入れています。まず当時の素材を、繊維構造や紡織方法に至るまで時間をかけて解明することから始めています。例えばナイロンであれば、赤外線を当てたときの変化を見る「赤外線分光分析」や、どのくらいの温度で溶けるかを見る「融点測定」などを行うことで、それが、何種類も存在するナイロンのうちのどれに当たるかを特定するわけです。こうして素材を特定できても、特に特殊な素材の場合、すでに生産されておらず、手に入らないことがわかり、そこで、その素材を自分たちで作ろうと試みたのです。ところが今度は、現在使われている紡織機では構造上作れないことが判明しました。そのため、古い紡織機を探し出し、壊れていたり調子が悪かったりする部分を分解・修理して、ようやく、思うような素材を織れるまでになったのです。