SUN SURF × 北斎 "SPECIAL EDITION, 凱風快晴"
日本を代表する芸術家であり、世界に最も名の知れた日本人の葛飾北斎の代表作"凱風快晴"をプリントしたアロハシャツです。
プリントに当時北斎が魅了された藍顔料を使用し、版木(錦絵の摺りに使われていた木の版)の「木目」まで生地に表現することで、北斎作品の魅力を余すところなく再現しています。
プリント手法は藍捺染、ボタンは白蝶貝。その名の通り、貝から削り出したボタン、美しい光沢が特徴。
北斎オリジナルの織りネーム、ケース付き。
・藍捺染
サンサーフが作る北斎作品とのコラボレーションアロハシャツに採用されているプリント手法が藍捺染です。
通常広く知られている藍染は、染液に藍植物から発酵させたインディゴを溶かし、その染液へ生地や糸を浸したのちに空気に触れさせ、酸化させることで藍の色を定着させます。
そしてその工程を何度も繰り返して色に深みを出していきます。
対して藍捺染は、この染めの工程を大気中で完結させることで、深みのある発色を可能としています。
しかしながら、一定の色で生地に藍染を定着させるのは至難の業。
高度な捺染技術を要することは言うまでもなく、発色は気温などの環境にも左右されるため、熟練の職人が知識や長年の経験からの判断で細やかな調整を加え、版を擦り重ねていきます。
そうして擦り上げられた記事は、プリント中に酸化させない特別な技術を用いているため、藍が酸化する前の緑がかった状態。
ここから最終工程で一気に酸化させ、捺染台に貼られた生地は瞬く間に緑が藍色へと鮮やかに発色していきます。
こうして手間暇をかけて作られた生地は、新品での風合いはもとより、使い込むことで藍が経年変化し、沙汰に味わいを増していくのです。
日本が古くから培ってきた高度な捺染(プリント)の技術。そして北斎の時代から使われ続けて北愛という顔料の特性と魅力を最大限に生かし、サンサーフと北斎作品のコラボレーションアロハシャツは生み出されています。
・葛飾北斎 1760年10月31日〜1849年5月10日(満88歳没)
葛飾北斎(かつしかほくさい)は日本を代表する芸術家であり、世界にもっとも名の知れた日本人です。
北斎の作品は1867年のパリ万国博覧会にて、初めて海外で紹介されました。その大胆な構図や明るい色彩は従来のヨーロッパ絵画に無かったものであり、ヨーロッパの芸術家たちに大きな影響を受けた画家には、フィンセント・ファン・ゴッホやクロード・モネ、エドガー・ドガなどがおり、音楽家のクロード・ドビュッシーも『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』に着想を得て、交響詩『海』を作曲。このように西洋美術史にまで影響を与えた北斎は、世界における評価が高く、1960年にウィーンで開催された世界平和評議会において世界の文化巨匠として顕彰されました。1999年にはアメリカの雑誌『ライフ』で「この1000年でもっとも偉大な業績を残した100人」として日本人から唯一選ばれ、欧米ではその後も19世紀最大のアーティストと讃えられ続けています。
北斎は宝暦10年(1760年)に本所割下水付近(現在の墨田区亀沢付近)で生まれ、生涯のほとんどを墨田区内で過ごしました。古くはこの辺りを葛飾群(かつしかごおり)と呼んだことから、自身の画姓にしたといわれています。勝川春章に入門し、勝川春朗(かつかわしゅんろう)としてデビューした後は次々と画号を変えながらキャリアを重ね、還暦を過ぎたころ為一(いいつ)と改名しました。この頃にかの有名な『富嶽三十六景』や『百物語』シリーズ、武者絵など錦絵版画の代表作を完成させます。
北斎は人生のすべてを画業についやして膨大な数の作品を残し、波乱万丈の人生を送りました。自身の作品には病的なまでのこだわりを持ち、決して妥協を許さない芸術家であったといわれています。
"凱風快晴"
冨嶽三十六景シリーズのうちの一つで、通称「赤富士」の名で去られる名作です。
夏から秋にかけての早朝に、富士山が朝日を浴びて山肌を赤く染める事があり、その減少を捉えたものと考えられています。
夜が明けきってしまうまでの僅かな時間の経過を作品上に表現しており、山頂はまだ薄暗がりで、中腹は赤みを増しながら、穏やかな風の中で少しずつ夜が明けていく様子を描き出しています。
この作品を手掛けた頃から、北斎は舶来の顔料であるベロ藍を使いはじめます。
その発色に魅了された北斎は、ベロ藍の深い青と植物から採れる藍を複合的に使って独自の色味に仕上げ、冨嶽三十六景を完成させました。
このアロハシャツのプリントには藍顔料を使用し、版木(錦絵の摺りに使われていた木の版)の「木目」まで生地に表現することで、北斎作品の魅力を余すところなく再現しています。
サンサーフが作るハワイアンシャツは世界でも有数で柄に合わせたココナッツや竹、貝ボタン、胸ポケットの柄合わせなどなどはもちろんの事、「人絹」と呼ばれ、 植物を原料とする天然由来の繊維であるレーヨンの織り方たプリントの発色の良さ、扱いずらい素材の縫製など、長年の研究に裏打ちされたアロハシャツは素晴らしい仕上がりです。
※洗濯の際はクリーニング店にご相談下さい。
素材 レーヨン100%(RAYON FUJIETTE)
プリント 藍捺染(オーバープリント)
附属 白蝶貝ボタン
MADE IN JAPAN
S 肩幅44cm 身幅52cm 着丈65cm 袖丈22.5cm
M 肩幅46cm 身幅55cm 着丈68cm 袖丈23cm
L 肩幅49cm 身幅57cm 着丈71cm 袖丈24cm
サイズ表
SUN SURF(サンサーフ)とは、アロハシャツの黄金時代とされる1930〜50年代にかけて作られた「ヴィンテージ」と呼ばれる貴重なアロハシャツを生地からプリント、各部のディテールまで妥協なく再現し、現代に蘇らせているブランドである。
サンサーフの歴史は深く、時をさかのぼること1950年代。
ハワイの発展に呼応するかのようにアロハシャツも最盛期を迎えていたが、ハワイには捺染の設備が無かったことからプリント生地はアメリカ本土もしくは日本へと発注されていた。
当時、輸出・輸入業を手掛けていた港商商会(東洋エンタープライズ社の前身)はスカジャンをはじめアロハシャツやボーリングシャツなどを米軍ベースへ納入。
アロハシャツに関しては「ファッションマート」というブランドラベルを付け作製していた。
現在ヴィンテージとして扱われているアロハシャツを実に60年前、実際にハワイへ輸出していたのである。
その後、港商商会はベトナム戦争の終結とともに「東洋エンタープライズ」と名を変え、日本国内向けの商品をスタート。
そして1970年代、アロハシャツブランド「サンサーフ」を誕生させた。
設立当初から輸出・輸入業に携わりアメリカの文化に慣れ親しんでいた同社だけに、アメリカンヴィンテージの魅力の虜となったことは当然と言えるだろう。
1980年代に入ると本格的にヴィンテージアロハシャツを意識した物作りを始めるが、その魅力を再現することはそう容易い作業ではなかった。
特にアロハシャツの最大の魅力である「色」、つまり絵柄の発色の良さは、現代のプリント方法では当時の風合いがまるで出せず、味気ないものとなってしまう。
そこで、資料として収集した数千着にもおよぶヴィンテージアロハシャツを分析。
その結果をもとに、当時のプリントを再現できる工場を探す作業からスタートしたのである。
また素材についても、ヴィンテージと同じ風合いを持ったレーヨンは流通していないため、糸の紡績から織りの強弱まで着手したSUN SURFオリジナルの生地を作製。
さらには身頃に現れる絵柄の配置にまでこだわり、現在主流の生地幅では柄出しが合わないことから当時の生地幅に合わせて布地を織り上げ、シャツに仕立てている。
そして縫製。伸縮性があり滑りやすいレーヨン生地は、裁断や縫製に非常に高い技術を要する。
作品によっては、ポケットや身頃までも柄合わせを行うなど、そのこだわりは細部まで抜かりない。
ヴィンテージに見られる縫製仕様を再現し、貝・ココナッツ・竹など多種多様な素材のボタンを使い分け、柄の構図から配色に至るまで日々研究を重ねている。
このような地道な作業からひとつひとつ答えを導き出し、そこから生まれたノウハウを生かしてサンサーフのアロハシャツは作られているのだ。
今や希少で入手困難なヴィンテージアロハシャツ。
その魅力を時とともに風化させず、より多くの人々に楽しんでいただけるよう、サンサーフは数多くの名作を現代に蘇らせ続けている。